水野源三
生きる神さまの 神さまの |
昭和12年(1937)坂城町田町に生まれる。
昭和21年(1946)8月坂城町に集団赤痢が発生した。1ヶ月足らずで286名の患者が4つの病院に隔離される大騒動になった。 坂城小学校でも55名が真性赤痢と判明し小学校4年生の水野源三もその一人だった。 下痢と高熱で体が衰弱し脳膜炎を併発、十数日後に熱は下がり意識を取り戻したが、すでに体の自由を奪われてしまっていた。脳性麻痺であった。

その後、水野さん自身の努力と、ご家族の献身的な介護で、瞬きで五十音図から文字を拾い自分の意思を表現できるようになった。
有難う物が言えない私は |
18歳のころから詩作を始め、25歳のときに父が自分の名で読売新聞に投稿した
「庭すみの寒菊に雪降りかかる」
の句が選ばれ投稿を勧められ詩作に励むようになるが、数年経ってからやっと作品が取り上げられるようになった。
悲しみよ 悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう |
坂城町四ッ屋の源三の墓
4冊の詩集と短歌を残して、昭和59年(1984)47歳の生涯を閉じた。
残されたそれらの作品は、今でも多くの人に勇気と生きる力を与え続けている。

坂城町田町にある歌碑(左)
坂城栄光教会に水野源三氏展示コーナーがあり、詩集・ビデオも販売しています。
坂城栄光教会 TEL・FAX 0268-82-8044





