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紀井奈 栗守
〒389-0821 長野県埴科郡坂城町
WWW: http://www.sakaki.com/duck
自己紹介
出生地:米国東海岸コネチカット州
ストニントン
現在は東京都から北西に向かった、長野県の坂城町に在住
趣味=12年間、仕事中心で趣味を持つ時間がなかったが、最近、ようやく余裕ができ、ロルフィング、体操、催眠療法、観葉植物の育成に興味をそそいでいる。
学歴と社会に出てからの経験
株式会社 鴨 (1992 - 現在)
社長業と大黒柱
鴨は最先端技術を持つ日本と欧米企業の間に入りお互いの関係が円滑に
行くようお手伝いをさせて頂く会社です。
大学院を卒業したてで何故鴨をはじめたのか?教授にならなかったのか?
まだ、ひよこなので社会の荒波で経験を積み、十分に羽を鍛えてから教壇に立ちたい。
カリフォルニア大学バークレー校
(1985 - 1992)
- 理学部人類学科
大学院で自分が最も興味を持っている技術と文化の関連性について学ぶ環境に出会えた。
- 日本において博士論文の為の研究を行う
1990 - 1991
博士論文の研究で長野県の坂城町で工業発展についての研究を行なった。 戦後、飛躍的な成長を遂げ、この町は人口2万人で400件の会社が存在している。
町の50人に1人が会社の社長ということである。
- 日本研究センター
(1986 - 1987)
私が日本語を話せるようになったのは、こちらのおかげである。
毎年、アメリカとカナダから40人の学生が日本語を学ぶためにこちらに来て8ヶ月間の厳しい講座を受ける。
私は2ヶ月たったある日、日本語で夢を見ることができて大変自信がついた。
ブラウン大学
(1981 - 1985)
- コンピューターサイエンス学科
ブラウン大学を選んだ理由は、技術を勉強しながら、一つの分野にとらわれず様々な勉強ができるという
良い環境があったから。
- 日本語との出会い
中学生から学びはじめたフランス語は大の苦手で、大学に入るとフランス語からどうしても離れたかった。
大学では何を選択しようと自由だったので、新しい物に挑戦してみたいという気持ちが自然にわいて来て、
日本語を勉強してみようかという事になった。3年間大学で勉強した後、自信満々で日本に来たが、期待通り
に日本語が理解出来なかった。日本人ももっと英語に自信をもとう。
ディアフィールドアカデミー
(1978 - 1981)
私が在学中は男子校だったが、現在は男女共学になった。大変残念だ。
思春期の真っ只中で女子生徒がいなかったのは、勉強に専念できて大変良かったと思う。
アメリカでは、ほとんどの学校が共学になってしまっているが、男子校、女子校の制度は残してほしい。
09Jun05更新
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